クリエイターやライター等の業界は、
個人事業主や2~3人、または5人前後など、
ごく小規模な形態で業務を行っている事務所も少なくない。

いわゆるSOHOも多い。

感性が商売道具の知的労働といえるので、
小規模のほうが良いものが創れることが多いように思える。

実際、ありがたくも弊社にご登録いただいている
委託スタッフの方々も、規模こそコンパクトだが、
とても素晴らしい実績作品をお持ちの方が多い。

もちろん、中堅・大規模くらいの事業所の
スケールメリットもある。

中堅・大規模でなければできないことも多い。

私自身も新人社会人の頃は、
日本3大出版の1つである企業に属していたから、
その頃のことも、結構、よく覚えている。

しかし、ひとつの会社または部署、事業所、
という枠での集団である限り、
知らず知らず集団のエゴは発生する。

どんなに気をつけていても発生する。
ないとは言えないのではなかろうか。

特に、私たちは日本人である。
かつて、「大日本帝国」と謳って戦争した民族である。

心の奥底ではおかしいとおもったとしても、
「非国民」とされるのが怖くて付和雷同しやすい習性がある。

このことは誰もが学んだことなので、ここでは控える。
私も流されやすい弱い人間だ。凡人でしかない。

・・・こう書くと、「上から目線」に捉える人がいるようだが、
   そういうつもりでもないのに表現とは難しいものだ。

話を戻して ⇒ 追記ページへ続きます。

売れる広告なら


話を戻して、国であれ会社であれ、部署であれ、
1つの枠組み、それも多かれ少なかれ縦型社会に属する以上、
上下関係に意識が侵され、余計なストレスが発生し、
クリエイティブな発想が制限されることもある。

その逆に良いこととしては、リアルタイムに、
助言など指摘を受けることができるという点がある。

しかし、これもここまでインターネット等のインフラが、
当然のように定着すると、小規模の横の繋がりでも、
随分とカバーできるし、
かえってメールのほうが客観的に見れて良かったりする。

足りなければ会って打合せすれば良いのだ。
会うまでの移動中に、更に思考を深めることもできる。

横の繋がりでも上下関係は発生するが、
基本、独立独歩であるので本人の反骨心を保ちやすい、と思う。

人によるかもしれないが、
流されやすくてはクリエイターやもの書きなど務まらないし、
するべきではないと思う。

例えば、よいしょ記事ほど読んで不快なものはない。

感性とエゴとは必ずしも一緒ではないが、
リンクすることも多い。

恥ずかしがらずにエゴをだそう。

言わずもがなのルールだが、パブリシティ、
編集記事やルポルタージュ、プレスリリース等では、
エゴはご法度である。

プレスリリースは別にして、
自分の意見などは、ほんの少し。

始まりと終わりの締めくくりや、
文章の繋がりに使えばよいだけのものである。

コンサル的要素が必要な販促案件などで、
御用聞きのような制作だと、顧客利益には往々に繋がらない。

もしくは、編集記事で客観性をなくし、
宣伝のように書いてしまうと、それもまた逆効果だ。

読み手・受け手にどう伝わるか。
この点が最大のポイントである。

そのためには、サラリーマン心理や営業マン心理で、
自我をむやみに抑えることもない。

迎合したくなっても、自らの感性を強く持って欲しい。

口下手で上手く言えなくても、
かっこ悪くてもいいではないか。

それがクライアント利益に繋がるのならば。

その誠意は、仮に口下手でも、
クライアントさんにだって伝わるものと信じよう。

セールスマンだって、口の上手い人間が必ずしも、
売れ続けるわけではないのだ。

それでもホスピタリティを考え、
クライアントさんに余計なストレスを感じさせぬよう、
口頭での表現力も上達はさせたほうがいい。

コンテンツだけ創れるというのではなく、
コンテクスト、人間力も磨き上げ欲しい。

小規模だからこそ、自由な発想と職人気質で、
中堅・大規模には創れないものを創りあげられる。

この点は財産ともいえる強み。
とにかく、これは忘れてはいけない。

仮に、何かしらの軋轢で仕事を失くすことになったとしても、
事業主なのだから、自力でまた新規獲得すればよい。

そういう考えが私は好きだ。

しかし、地元で仕事ができなくなるほどのことをやってはいけない。
最悪なのは連絡すら取れなくなることだ。
極たまにいるが、そんなことだけはやめて欲しい。

産みの苦しみは、私も毎日、実感しているし、
あくまでクライアントあってのことだから、
その接し方と創り手のジレンマが発生するのもよくわかる。

小規模として営業も考えねばならぬし、
経理も管理しなくてはならず、ただ制作に没頭していれば良い、
というほど、甘くもない。

それでも、常にクライアントのことを想い、
制作に頭を使い続ける、何重もの思考の積み重ね。

人として誠心誠意をシビアに逃げずに尽くして欲しい。

ランナーズハイになるまでは、まさしく苦行のようだし、
私の場合、食事することすら後回しになる心理になる。

なので、その後はとてもバテる(-_-;)

座っていても立ちくらみするし、
マウスをクリックするだけでも指が痛い。
というか、思い通り指が動かなかったりする。
(まぁ、体調は人によるだろう。)

でも、その度に感性が研ぎ澄まされ、
想いも深まり、実力が向上し強くなっているのだから。

仮にこの先、部下を増やしたり、委託先を増やしたり、
弟子を取っていくようになりたいと、
前向きに将来を考えている人なら、
尚のこと、自らが達人・名人を追求して欲しい。

創れない上司から指示されることほど苦痛なものはない。

お客様であるクライアントさんなら、
こちらがホスピタリティを心がけるのが当然だし、
いかに伝わるようにコンサルするかに骨を折るのも惜しくない。

仮に結果、骨折り損だったとしても、
それでも人として学ぶところはとても多い。

そうではなく、分かっていない上から、
「こうしろ」なんて来た日には、制作者として、
歯がゆいどころの気持ちではないのだから。

達人・名人からのダメ出しなら、
素直に学び取る姿勢が持てるはずだし、
その姿勢がもてない部下や弟子に対しては、
何かしらのレクチャーを考えてあげることになる。

それと小規模だと事務所によっては馴れ合いで、
易きに流されやすい、狭い了見にはまるかも、
ということが起こりかねない。

クリエイティブ業界に関わらず、ある。

だからこそ、横の繋がりのコミュニティでの忌憚ない学び、
これを長期的に深く進めていく必要があるのだ。

呑みニュケーションもいいだろう。
お互いの見えなかったところが見えてくる。

このような活動を続けてきた人間と、
そうでない人間とでは、数年後の感性に違いが出る。

規模を問わず1つの事業所にばかり
関わる時間が多い人でも同様に、感性や思考が偏りがちになる。

私は明らかにそう感じている。
しかし、どこまで行っても人は自分の知っていることしか知らないし、
年齢を重ねるほど、このことを痛感する。

だからこそ、生きている意味があるのだと思う。

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